【意味】
わずかでも
積み重なれば 山のよう
ばかにできない 小さなことも
【ひとこと解説】
このことわざは普段よく耳にすることわざのひとつでもあります。ただ、皆さんはこのことわざをどのような意味で理解しているでしょうか。
辞書・辞典類によると、この「塵も積もれば山となる」の意味にも二通りあるようです。
ひとつは、単に「小さいものも積もれば大きなものになる」というそのままの意味です。
もうひとつは、「小さな努力やごく小さく取るに足らないわずかなことでも積み重なれば大きなものになる、だから小事をおろそかにしてはならない」という意味です。つまり、「小さいことからコツコツと」という意味で用いているようです。努力や倹約、蓄財の喩えとしても用いられています。案外、こちらの後者の意味で理解されている方も多いような気がします。
しかし、「塵」というのは所詮ほこりのことです。細かい土砂の粉末状のものや服の繊維が飛び散るあれにすぎません。ですから、「塵」が大きく積もってもそれは単なる土ないしはゴミの山です。
この「塵も積もれば山となる」を小さな努力の積み重ねが成功のもとという意味で用いるとするならば、このことわざはむしろ正反対の意味で用いる方が素直な気がします。すなわち、ただのハゲ山にしかならないようなホコリを集めても、何の意味もないということです。「塵」を現代的な表現で言えば、掃除機で集める小さなホコリのことです。掃除機で小さなホコリを集めても、結局はまとめてゴミ収集所にもって行くだけです。
目的意識を欠き、何の対策も講じずに闇雲に行う努力は無駄な努力であって、出来上がった結果は意味をなさないものの固まりということになります。
子どもに勉強勉強といって強制的に勉強を押し付けて机に座らせても、子ども自身がこの勉強が将来なにに役立つのかわからないまま勉強してもなんのモノにもならないときがあります。どうせするなら「塵」のような努力ではなく、金粉や金箔のような価値のある努力をしないと出来上がった「山」は大きな価値にはならないということです。
こう考えると、「塵も積もれば山となる」の意味は前者の意味で捉えるのがいい気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿